熊野メモ3(10月15日 那智に行く前)

するりと那智に記憶が飛んだけれど、那智駅から那智大社まで歩こうとしていた道すがら補陀落山寺というお寺を見つけたのだった。そしてそこで普段は開帳していない千手観音立像を拝観させてもらったんだった。それはそれはすばらしい体験だったのに、どうして抜け落ちたのだろう。仏像の写真が飾られていたからその仏像の所在を問うと普段は扉を開けていないだけでその奥に居ますと言われて。大きな、大きなものに映ったこと。補陀洛は入水往生のこと。死に希望を持つということは生に絶望したからではないところが修行の特別なところと思う。
そしてお寺の人が帰るところだったので那智大社まで車で送ってもらったのだった。歩いたら日が暮れていたので、とても感謝した。
きょう図書館で借りた『日本の秘仏』(平凡社)を見ていたら補陀落山寺の千手観音が出てきたので改めて見入る。でも写真と実物がもたらす感覚の違いをあんなにまざまざと覚えたことはない。