夜桜能の座席番号通知が届く。春待ち。ちょっと早めに出かけて参道に並ぶ露店で少しお酒を呑んだりし、ぬるい風に吹かれる桜の下で能を観る。夕暮れに火入れをして、演目が進むにつれてやってくる夜の暗がり。時間が経つこと、太陽はのぼってそしてゆっくり沈むということ、日が落ちたら見えてくる景色のこと、あっちの世界とこっちの世界のこと。(むかしのひとはどんなふうに観ていたのだろう。)
夜桜能を観るようになってから、春がずっとずっと楽しみになった。

こないだ観た『ブリスフリー・ユアーズ』。水辺の美しさ、というのがあるのだとしたら、潤いをもたらす優しさとしてではなく、生のみなもとという、そして生が還っていくというところでの太くて強くて恐ろしさも含めたもの。森は、山は、それを内包し、見守り続けている。その存在感たるや。。こわくてうつくしいそして在り続けるものことへの畏敬。

雑記

ぽかぽか晴れ。陽が入るうちは部屋でのんびりがいいなぁ。
きょうは映画を。『ヒミズ』(監督:園子温)と『ブリスフリー・ユアーズ』(監督:アピチャッポン)。好きな監督ズ。どちらも吉祥寺はバウスシアターにて。ブリスフリー〜の作品紹介のなかで「水辺のシーンのたとえようのない美しさ・・・」とあり。たのしみで、だからこそ、なぜか寝てしまいそう。。

2月3日日記

2/3 節分。豆を買う。
T女史と終日行動。まずは森美術館へ。『イ・ブル展 〜私からあなたへ、私たちだけに〜』『歌川国芳展』を。
◎イ・ブル展
サイボーグ。不老不死。桃源郷。ひとが太古から望んでいるものは、ほんとうでしょうか。目的に向かって方法を選ばないとき、その結果についてはどうなのでしょうか。望んだことは、ほんとうだったのでしょうか。不老不死は具体的に操作せずとも、たとえば輪廻転生という「考え」でいきているように思います。望んでいることイコール叶えたいことと結びつけることをせず、望んでいる状態をただただ継続することも、望むということの大切な態度なのではないでしょうか。(それは夢見るってことかもしれません。)どうなのだろう。
◎『歌川国芳展』
たのしい。浮世絵展に行くのは初めてだったのではないか。ねこ代官とかも好きだけれども金魚シリーズがたまらなかったな。金魚が水中でキセル吹いて二足歩行。そんな世界でありたい。相撲取り等の迫力ある作品については、その肉ニクしさにやや引く。

その後トラムに金魚の公演を観に行く。T女史初ダンス鑑賞。あしみねさんの身体が突出して目に入ってきた。あまり動かないダンサーに、時間の流れを思った。

※磯辺揚げ
久しぶりに食べる。T女史と。ちくわを衣で包んで揚げようだなんて、すてきアイデア。きっとちょっと固くなって美味しくないかもっていうちくわに出くわした人が(ちくわが好きだから捨てられず)絞った知恵によるものでは。

9種のお惣菜と鍋の新年会

「お呼ばれする」とは、こういうこと。という一夜。
チャキちゃんとはじー氏のお宅へ。いごこちって、どうやってうまれるのだろう?やって来た人々のほとんどは、知らない人。けれども、おふたりのおうちのいごこちに包まり、あんしんして食べたり、呑んだり、うなづいたり、笑ったり、だまったりした。
おいしいおいしいごはんたち。また会えたらいいなと思うひとたち。思い出すとうれしさにほわほわする。

本とお惣菜は相性がよろしい様子。

ぺろりと食べる。

はらぺこなお皿。

※そのほかに、この日のうれしい↓吉祥寺のパン屋、ダンディゾンの前。

グレーやらベージュやら黒やら、はちゃめちゃカラー毛むくじゃら猫。ブルーの扉がよく映える。

◎お呼ばれナイトごはんのお品書き
ネギと豆腐のスープ、ほうれん草の豆腐とクリームチーズの白和え、厚揚げと小松菜のナムル、しこいわしの黒酢煮、カボチャの塩蒸し、蒸しれんこんの梅あえ、豆腐とにんじんとゴマのマカロニサラダ、みそじゃがバター、明太子とジャガイモのグラタン、麻婆豆腐鍋
補足:アラビアータも出た
追記:どれがいちばんああだこうだだなんて、いえないくらいほんとにぜんぶすみずみまでおいしかったです。

めでたい時間

1/28 ぶじ国立劇場淡路人形浄瑠璃(二日目)を観に行く。
みっつの演目。そのうち最初の『戎舞』がものすごく楽しかった。
神さま登場。「わたし神さまです。来たのでお神酒をくださいよ。」って庄屋さんに言って、訳を問うことも無く庄屋さんはお神酒を運んでくる。
神さまはとにかくお酒を飲みたくて、次を注いでもらうための理由をあれこれこじつける。その理由はバカバカしいものからそれらしいものまで。庄屋さんはどんどん注ぐから、神様はどんどん酔っぱらってへべれけ。そして海に出て「おっきなものが釣れたゾー」ってなったら、神さまと同じくらい大きな鯛でしたー!って話。嗚呼目出たい。愛でたい。
なんて単純なんでしょ!なんて自由なんでしょ!
自分のこれまでの「楽しい」の感覚について帰り道見つめ直しながらトボトボ。
「楽しい」は毎日に大なり小なりあるけれども、「楽しむ」ということはこうやって、もたらすこと、もたらされることができる。
この演目はとても大切な演目だと思う。いつの時代もずっとずっと。
「今日はようやくお正月の気分になった」と口走る。お正月のような、はれた気持ちになることを良しとする。良しとされたい。ということは時期を問うこと無く、個人にも世の中にもあるのだろうなぁとしみじみしてしまった。

あとで消したくなる日記

冬を満喫しておらず、寒がるばかり。
今日はチケットを買っていた文楽の原型になったという浄瑠璃芝居に行けなかった。くやしいのメモ。

さて。
よゆうがなくてグチ愚痴してしまうときには、よゆうをつくることを最優先に。

地味にまいにちのことを。
地道にまいにちのことを。

あしたは起きたらコトコト煮物をしてみよう。時間の進み方の質感は、行いにより変わるのだけれども、煮物してる時間はなんだかゆっくりで、やわらかく漂う深まる味の匂いにゆっくりできる、気がする。

あさってはお惣菜の会。名前もステキ。会う人も久しぶり。お惣菜は足りるそうで、お酒が足りないそうなので、大好きなあれを買っていこっと。