4日分の日記

1/18 群馬に行く。神奈川から3人で3時間ほどかけて、電車でトコトコと。授業を聴いて、そのあとホルモン屋さんに行った。授業、とても良かった。その理由はいくつかあって、そのいくつか、の、結びつき方がさらに良くて、そこのとこを、きちんと整理したい(メモ:やっているひとは、結びつき方をむしろ気にかけてやっていたのだろうと思う)。
よくじつ私はにんにくの臭いを大いに放っていた。ガツ刺しが特に秀逸で大好きなギャラもすばらしく、私にとってはむしろ得がたい余韻。でも関係のない翌日周辺のひとびとには面目なし。
1/19 雪。ぼた雪。積もらない。寒いだけ。でも窓から見る斜めに降る雪模様には室内の暖かさに感謝する気持ちが膨らむ。温度への感謝は忘れがちなので、良いことのひとつ。。
1/20 夜から名古屋の実家。いつものとおり、近所の神社の前を通って帰宅。その神社はとても自分にフィットする。「好み」という自主的な嗜好が露骨に前に出るかたちではなく、「合う」と感じる神社がある。そのひとつ。大山祇神(おおやまづみのかみ)がこの神社の神様ということで調べてみると「日本全国の山を管理する総責任者」とある(神様だから「責任者」というのもなかろうけれど)。腑に落ちる。
1/21 通っていた高校のそばの本屋に。仕事のための本を探しに。なんか、こんな本探しに行くの、切ないなって言う、必要性が個人的には全く無いのではないかという本。だから「これだ」というものに当たらない。池田晶子さんの『私とは何か さて死んだのは誰なのか』と『残酷人正論』も買って、もちろんそっちから読んでしまう。

日々的メモ

柳田國男相模原市津久井
御仮屋という行い
今和次郎

※ごはん
久しぶりに塩豚を作る。塊肉に塩擦り込んで寝かすこと5日間。
ロースで脂多めなのでフライパンでオイルをひかずにこんがり焼く。取り出してそれだけで食べる。もしくはサンチュ等葉っぱと。つける味噌も簡単に準備。みりんで溶いてすりごまを加えたり。その他→焼き目をつけるように焼きつつ、あぶらが出たらトマトを入れていっしょに炒める。豚肉とトマト、美味しい。

メモ書き 散策はじめ

1/3 2週間くらい過ごした名古屋から神奈川に戻る。混み合っていてこだま号でゆっくりと。
1/5 あやちゃんとごはん。あや女史、年末旅した南インドの素晴らしさを語る。それにしても仕事が遅くなることを伝えたら日暮里の自宅から職場近くまで来てくれた。中間地点で新しく美味しいお店を見つけるのも嬉しいけれど、いつもよく行くお気に入りのお店で一緒に食べることができるのはもっと嬉しかった。「普段」ということについて。
1/7 Tさんと9時半に待ち合わせ。橋本駅からのんびり歩いているとクラクション。そのまま100回は行っているという紅椿の湯へ。久しぶりの温泉。晴天のその日は空が透明な青で山肌ものびのびとしていた。石を枕にお湯のなかに身体をのばす。お湯のかたさを身体の表面は感じ取ることができるのね。ぬるめの柔らかなお湯。

上がって城山に向かう。ことし初散策。

鳥たちのいろいろな声を聞いた。Tさん曰く「鳥に人気の森」とのこと。いいな。ロシアから来るつぐみなど。

乾いた草の上に寝そべって空。ずーっとむこうまで。

「こんな美味しいカレー食べたこと無い」と食べた人が口を揃えて言うらしいカレー屋(昼2時まで)に間に合わず。お家で食べる。トマトとアボカドに塩レモン、タコのにんにく、鶏肉の蒸し焼き(ローズマリー)、チーズ、パンあれこれ。

memo・ほんじつのパン屋
PALME D'OR(パルムドール
相模原市緑区向原3丁目20-19 定休日:月曜日と第三火曜日
グラハムたっぷりのスコーンなど。丁寧。パンが好きで大切に思ってる人の手によるもの。

年末日記

12/26 市内8センチの積雪。岐阜行きは取り止め。買い物に出かける。駅前の比較的最近出来た高島屋へ。すごい人出。トヨタが作ったというぴかぴかしたビルなども出来、景色が変わっていた。高島屋で必要なものが見当たらず、名鉄百貨店に回る。打って変わって閑散。店員>客。入っている店は悪くないのに。アピールがまるで不足していて商売としてはどうかと思うけれど、そわそわしていないこちらの方が好き。必要なものもあった。新しく出来たものや、出来ることがすなわち前進とも限らない。
12/27 正月用の箸を頼まれる。昨日まとめて買いに行きたかったなぁとぐずぐず思う。栄は三越に行き、あっという間に用事を済ませ、県美の『ジャクソン・ポロック展』を観る。事故死した際に履いていたという靴の展示は妙に感傷めいていて余計。でも観てよかった。初期の具象性が高い時期の作品と、描けなくなってしばらくしてまた描き出した時期の作品が心の内側に残っている。黒は強くて他を圧倒するばかりの色ではないのだな。
12/28 「仕事納めだ」と言いながらよろよろと父が出かける。大丈夫かなと思うも心配事や不安は口に出さないことに決めた。母も一緒に出る。
神石山に行った。良い里山。「雨の日以外は毎日」という地元の人がたくさん。四季を終えた足元の落ち葉にうっとりしていると浜名湖が目の前に広がる山頂。下山途中に普門寺という古刹あり。また遺跡の発掘をしている人も散見された。
12/29 おとなしくしていた。陽だまりで笹井宏之という人の歌集を読む。人から歌集をもらうというのは初めてでひどく嬉しかった。ことばと自分とのやり取りがゆっくり。間に空気が入る感じ。知らぬ間に睡眠。最高の贅沢。



神石山のおちばみち。やがて土になる。進める足でさくさく音を鳴らして遊ぶ。

背に陽を受けてあたたまる普門寺の石仏たち。

日記

12/23 庭の落ち葉拾いをして焚き火など。父に言われるままの方法で。じっと見られつつ、やるうちに楽しくなる。ほんとは父も自分でやりたかったのだろう。夜は久しぶりに母の惣菜ずらりを食べる。丸いがんもの含め煮と牡蠣の佃煮が特に美味しい。これらは習って帰ろう。
12/24 父が「今回は長く居るんだな」と言うので適当にお茶を濁す。気晴らしをしたくなった時のために山グッズを持参していて、なんとなくそれに着替えて出かける。愛知県民の森に行ってみた。最寄り駅から二時間半。新横浜から名古屋まで一時間半という時間尺度が距離尺度に重なってしまっているようで「愛知県てどれだけ広いの?」みたいなおかしな感覚になる。到着した先は私の田舎の原風景となっている両親の実家がある岐阜にとても似ていた(というよりは日本の7割は山って、ほんとそうらしいと思った)。人もまばらな電車内では正月用の餅が足りるかなどの話し声。耳心地よし。
12/25 雪が降った。明日かあさって岐阜は郡上八幡に墓参りに行くお遣いを命ぜられたけれど、厳寒が予想されて怖気づく。母と台所に立つ。いろいろ学ぼうと思ったのに、全部「適当だから」と言われる。メモること、無し。
買おうと思っていた『かくれ里』(白州正子著)を本棚に見つける。嬉しい。その隣に『歴史について 小林秀雄対談集』があり、先にそちらをめくる。とてもおもしろくてくいくい読む。もうすぐ夕飯。おでん、ほうれん草の胡麻和え、ひじきの煮たの。

しろねこ

きのう、お芝居を観る前にカフェに入ってお茶をしていたら、白猫が通った。もこもこしていて毛並みのケの字も無い。しっぽは短く切れていてチョロリとある程度。アンバランスでなりふり構わないとこがとてもチャーミングで、思わず「連れて帰りたい」って口に出した。けど、「猫は人じゃなくて場所につくから引っ越す時も連れて行くのはかわいそうなんだよ」と聞いたことがある。猫のそういうトコもとても好き。でもきのうのあの白いのは、もしかして猫じゃなかったのかもしれないな。
お芝居はおもしろかった。

雑記

晴天。
今年の年末は早めに名古屋の実家に戻って過ごすことにした。2011年。もしかしたらいつだってそうかもしれないけれど、この年末のことを、特にこれといったきっかけもなく、ふと思い出す、ことになるのではないかと、この年末がくることができるだけ先延ばしになったらいいのにと思う。
つい無駄に過ごしてしまうような、過ごせてしまうような時間の方がよっぽどしあわせなのかもしれない。
特別な時間かもしれないと、目の前を流れるひと粒ひと粒の時間をじっと確かめるように眺めたりしませんように。振り返った時に、ああ、あのときもっと、と少しの後悔や痛みと一緒にその時が浮かんでくる、そのくらいのあっけらかんでいることを手綱に。


雲ひとつない冬の晴天。低山の紅葉も終盤を迎えるから、久しぶりにてくてく行こうと思ったら電車が事故で動かなくなっていた。
赤や黄色で色づいた山々は厚みを帯びて、自然界のニットのように見た目に暖か。
中部地方の山について、調べてみようかな。